ラグビー界のレジェンド平尾誠二氏とは、いったいどのようなラグビー人生を送った人物なのでしょうか?「レジェンド」と呼ばれていたくらいなので、ラグビー界にとても大きな業績を残した人物といっても良いでしょう。
この記事では、レジェント平尾氏がラグビー界に何を残してくれたのか、それをどのようにして受け継がれているのかを紹介していきます。平尾氏の人生を通して、ラグビーの素晴らしさがわかってもらえることでしょう。
人物紹介と経歴
■ラグビーをはじめたきっかけ
平尾氏は野球少年でしたが、部員が多くて下積みがとても多いと感じていたようです。ラグビー部に目を向けてみたところ、部員は10人ほどで先生も良い先生で楽しく練習していたのを見たのが、ラグビーを始めたきっかけです。
父親にラグビースパイクをお願いして買ってもらったことがラグビーをやっていた人生で一番嬉しかったことであるとテレビなどで語っています。
そして、平尾氏は当時不良の集団の高校だと名高かった伏見工業高校へ入学します。
京都の大会で平尾氏のプレイに魅了された伏見工業高ラグビー部の監督でもある山口先生から懇願され入学にいたります。
この出会いこそが名作ドラマ『スクールウォーズ』につながっていく訳です。
平尾氏がラグビーに入部した時は、決勝でやぶれた苦い経験をしています。しかし、平尾氏がラグビー部キャプテンになった年、花園で優勝をなしとげています。
そのエピソードは、しっかりとドラマに反映されていて今でも名作になっています。
■ラグビー業界での主な経歴
■主な経歴
・伏見工業高校
・同志社大学時
・神戸製鋼選手
・日本代表選手
・日本第行監督
大学卒業後は、選手権で3連覇を達成するなど力を確実につけていた選手でした。やりたかったことに進んでいくことになります。
■話題になった出来事とは?
ファッション誌の取材を受けたことです。しかしこの出来事がアマチュア規定に反し、アマチュアの資格停止処分になってしまったのです。
これは、日本だけのことではなく国際的なことだったのです。
日本ではラグビーをしないという考えでいた平尾氏にとって大打撃だったことでしょう。
汚名返上のために日本で一流チームに属し成績を出すように言われます。
配属するチームを探していた時に偶然に、顔見知りだった神戸製鋼の専務と話をする機会があり、所属するチームを探すことを伝えたことで神戸製鋼に入社することになります。
神戸製鋼では、主将となりボールがいかに大切かという『ノックオンは犯罪的行為』という名言ともいえる言葉を発しています。
今までの経験から、ボールを大切に扱うことこそ試合を左右することが、平尾氏の身体に染み付いていたのではないでしょうか?
■引退後の功績
現役を引退してからは、神戸製鋼コベルコスティーラーズで総監督とゼネラルマネジャーを行っており意欲的な姿勢がよくわかります。
そして、スポーツと地域社会の振興に尽力するなど、ラグビー界はもちろんのことスポーツ全般で発展していくように働きかけていたことがよく伝わってきます。
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