ラグビー好きにとって1年に1回、最も熱狂する日がラグビー早慶戦の日でしょう。
早慶戦は毎年11月23日の勤労感謝の日に行われ、2023年に100回目を迎えました。
早稲田と慶應の対抗戦が始まったのは1922年。
約100年にもわたる伝統の一戦は、ラグビー好きの心を捉えて離しません。
- ラグビー早慶戦の歴史
- そもそも早慶戦が始まった理由は
- 早慶戦が行われる関東大学ラグビー対抗戦の詳細
ラグビー早慶戦の歴史。100年続いたのはラグビーの精神によるものだった
早慶戦は1922年に第1回目が行われました。
このラグビー早慶戦の始まりは、すんなり決まったものではありません。
過去に何があったのか、順を追ってみてみましょう。
早慶戦の始まりは野球だった
一般的に「早慶戦」と言ったらラグビーもありますが、元祖は野球です。
ちなみに早慶戦は三大競技があり、他にレガッタが入ります。
※レガッタとは、長いカヌーを複数人が手漕ぎする競技
早稲田が、丁寧に慶應へ野球の対抗戦を申し込んだのが始まりです。
これが1903年のこと。
2年後の1905年に東京新聞(現在の社名)が初めて「早慶野球仕合」と表記したことから、早稲田と慶應を略した「早慶」が広まりました。
参考:デイリー新潮:なぜ「慶早戦」ではなく「早慶戦」と呼ばれるようになったのか どちらが格下?
野球の早慶戦でトラブルが起こった
1906年に行われた試合は2勝先取のルールで行われました。
最初に勝利したのは慶應。
その時、慶應の学生が勝利に興奮し、早稲田の創立者”大隈重信”邸の前に大勢集まり、「万歳、万歳、慶應万歳」と大合唱をしてしまいました。
勝った時は確かに気持ち良いですが、明らかに度が過ぎてます。
2戦目、今度は早稲田が勝ちました。
ここで早稲田がやり返してしまいます。
慶應の創立者”福沢諭吉”邸の前に早稲田の学生が集まり、同じ事をしました。
実は以前から小さなトラブルもあり、火種がくすぶっていたようです。
こんな騒動があったので、第3戦はどうするかと協議。
結局、折り合いはつかずに第3戦は中止に。
早稲田は再開を求めましたが、慶應は応じませんでした。
こんな決議まで出して、それから19年間は野球の早慶戦が行われる事はありませんでした。
慶應と早稲田のラグビー部が動く
慶應ラグビー部は日本で最初のラグビーチームです。創立は1899年。
早稲田は1918年に創立。まだ全然ラグビーのチームが多くなかったので、慶應に対抗戦を持ちかけようとしました。
野球でのトラブルがありましたが「そんなのはラグビーとは関係ない」
という事で、双方のラグビー部の主将同士が対抗戦の準備を始めました。
特に慶應のラグビー部主将が各方面へ働きかけた事で、ラグビー早慶戦が開催されることになりました。
「ラグビーの精神」があるからこそ、ラグビー早慶戦が始まったと言える瞬間です。
関連記事:ラグビー用語『ノーサイド』の意味や使い方を元ラグビー選手が解説!!!
慶應の学校側とOB陣は納得してなかったようですが、主将が根気強く説得したことで、最後は「黙認」という形で、なんとか第1回にこぎつけました。
ちなみに野球の一件があるので、観戦マナーの厳守が求められました。
このラグビー早慶戦から3年後に野球の早慶戦が復活し、どちらも伝統の一戦にまで昇華しましたね。
参考:JBpress:知られざる早慶戦の歴史と100回も続いてきた「伝統の一戦」の意義を考える
慶應と早稲田の関係
この2校は関東でも有数の私立高校で、偏差値も高くて憧れの大学です。
創立年は違いますが、日本の大学令で「大学」と決まった日が同じで1920年2月5日。
この事からも、ライバルのような関係だったのかもしれません。
さて、両校の創立者はどうだったのでしょう。
このように思い、互いに避けていたそうです。
ですが、実際話をしてみると意気投合をし、その後も互いに協力しあう事何回もありました。
ある時は一緒に政敵によってハメられてしまう事もあり、それが余計に仲良くなるキッカケになる事も。
大隈が62歳の時、福沢諭吉(66歳)が先に天国へ行ってしまい、葬儀が開かれました。
その時、福沢家は献花を平等に断ってたようですが、大隈からの献花だけは黙って受け取ったそうです。
参考:伊藤之雄『大隈重信(上)「巨人」が夢見たもの』中央公論新社〈中公新書〉
ただ現代の大学同士の関係は、やはり友達というよりはライバル関係という感じです。
若干、慶應が早稲田のことを下に見ている感じはありますが、険悪な仲ではないと思います。多分。
「早慶戦」は慶應からクレームがないのか
結論から言いますと、ほぼ無いそうです。
- 古くから「早慶」が定着している
- 語呂も良いことから浸透している
- そんな事で目くじらを立てるのは慶應らしくない
以上の理由から、慶應でも「早慶戦」と言う人が多いみたいです。
それでも一部の慶應関係者は「慶早戦」と呼んでます。
2023年で100戦目となったラグビー早慶戦の通算成績
ラグビー早慶戦(関東大学ラグビー対抗戦)の通算成績は
- 早稲田:73勝
- 慶應:20勝
- 引き分け:7回
実はかなり早稲田の方が勝ってます。
関東大学ラグビー対抗戦の優勝回数は、以下の通りです。
- 早稲田:23回(最多)
- 慶應:4回
ちなみに早明戦や慶明戦も一部では有名で、明治大学との対抗戦はどちらも良い勝負です。
明治大学も名門で、関東大学ラグビー対抗戦の1回目から参加してます。
- 慶明戦 慶應の34勝49敗3分
- 早明戦 早稲田の55勝42敗2分
ですのでラグビーは明治との対戦の方が面白いでしょう。
早慶戦がここまで有名なのは、野球から始まって長らく続いている事や、OBが熱くなってしまってる事が要因かと思われます。
ラグビー早慶戦が行われる関東大学ラグビー対抗戦とは
ラグビー早慶戦は、関東大学ラグビー対抗戦で行われる早稲田と慶應の対戦の事を指します。
開催しているのは関東ラグビーフットボール協会です。
関東の大学生チームが16チーム所属して、試合を毎年しています。
関東大学ラグビー対抗戦に所属しているチーム
所属大学は16校です。
早稲田と慶應の他は
帝京 | 明治 | 筑波 | 立教 | 青山 |
成蹊 | 日体 | 明治学院 | 一橋 | 武蔵 |
東京 | 成城 | 上智 | 学習院 |
以上です。
制度上、今の16校から増える事はありません。
2部制で行われるラグビー対抗戦
関東大学ラグビー対抗戦は2部制になってます。
上位がAグループで下位がBグループです。
対抗戦の順位 | Aグループ | Bグループ |
---|---|---|
1位 | 帝京大学 | 日本体育大学 |
2位 | 明治大学 | 明治学院大学 |
3位 | 早稲田大学 | 武蔵大学 |
4位 | 筑波大学 | 東京大学 |
5位 | 慶応義塾大学 | 一橋大学 |
6位 | 立教大学 | 上智大学 |
7位 | 青山学院大学 | 学習院大学 |
8位 | 成蹊大学 | 成城大学 |
2023年の結果は以上の通りです。
試合の形式
関東大学ラグビー対抗戦は、それぞれのグループで総当たり戦を1回ずつ行います。
リーグワンとは違い、他校とは1発勝負です。
勝ち点は以下のように決まってます。
- 勝ち:4点
- 引き分け:2点
- 負け:0点
- 不戦勝:5点
- 不戦敗:0点
- 不成立:2点(両チームに)
- 7点差以内の負け:1点追加
- 3トライ差以上の価値:1点追加
他、細かい規定は関東ラグビーフットボール協会のホームページをご覧ください。
A/Bの入替戦は
- Aの7位とBの2位が対戦
- Aの8位とBの1位が対戦
- 1発勝負で、勝った方がAグループ
社会人トップリーグのリーグワンとは違い、単純に1発勝負で勝った方がAに残れる(昇格する)ルールとなってます。
リーグワンの詳細はこちら→ラグビーリーグワン2023-2024シーズン中盤戦に突入!第5節までの順位表と注目ポイント
2023年関東大学ラグビー対抗戦の入替戦は
A7位の青山学院が勝って残留し、B1位の日本体育大学が勝ってAグループ昇格しました。
A8位の成蹊大学は2024年からBグループです。
ラグビー早慶戦は1年に1度の注目カード
関東大学ラグビー対抗戦は年に1度、秋から冬にかけて行われます。
総当たり戦の1回勝負なので、慶應と早稲田の対抗戦は1回だけです。
ですのでラグビー早慶戦はとても注目を浴びます。
以前から早慶戦だけ11月23日固定で行われる事になってますので、観戦のハードルが低いですね。
注目度が高いので、毎年NHKで生放送されてます。
第100回目の試合のハイライトはYouTubeで。
国立競技場での試合は36年ぶりです。
参考:【ラグビー】100回目の早慶戦は早大勝利「素晴らしいファイトできた」36年ぶり国立開催
11月23日にラグビー早慶戦が行われる理由
ラグビー早慶戦の始まりは1922年でした。
まだこの時は大学の対抗戦ではなく、慶應と早稲田が日程を決めて試合をするだけでした。
日程の取り決めは天気も考慮されて、11月23日は晴れる確率が高い事から選ばれました。
それから伝統的に勤労感謝の日(当時は新嘗祭)に早慶戦が行われるようになりました。
実際に近年でも11月23日は晴れの確率が少し高めで、前後の日に比べて10%以上高いです。
参考:勤労感謝の日は晴れの特異日だが、日曜日の低気圧より北寄りに進む低気圧で雨の予報
まとめ ラグビー早慶戦はラグビーの精神が無ければ実現しなかった!?
早慶戦の歴史は100年続いてます。
ですが、その始まりは簡単な事ではありませんでした。
- 早慶戦の元祖は野球
- 学生がトラブルを起こし、溝ができた
- ラグビーも早慶戦をしたい
- 慶應の学校やOBの怒りが収まってなかった
- ラグビー部主将が説得をして実現
このような経緯がありました。
ラグビー部と野球部は別。野球のゴタゴタは関係ないだろうとラグビー部は、どちらも前向きでした。
そんな紳士的なスポーツだからこそ早慶戦が実現し、そこから野球早慶戦の復活。他のスポーツ競技でも早慶戦が行われるようになりました。
早稲田と慶應、互いがどう思っているか分かりませんが、多分良いライバル関係でしょう。