リオデジャネイロパラリンピック、東京パラリンピック。
二大会続けて、車いすラグビー日本代表が銅メダルを勝ち取った。
そのようなニュースが流れてから、あと少しで一年がたつ。
日本代表の活躍もあって、車いすラグビーがしばしばメディアに取り上げられるようになった。「マーダーボール(殺人球技)」という異名を持つ車いすラグビー。
その激しさと魅力に迫っていきたい。
■車いすラグビーとは
車いすラグビーは、ラグビー、バスケットボール、バレーボール、アイスホッケー等の競技が融合したオリジナル競技である。
バスケットボールと同じ広さの室内コート、バレーボールの5号球を基に開発された公式専用球を使用する。試合時間は1試合8分間のピリオドを4セット行う。
各ピリオドの間にはインターバル2分とハーフタイムの10分が入る。車いす同士のコンタクト(タックル)が認められている激しいスポーツである。
それゆえ、マーダーボール(殺人ボール)の異名を持つ。
ボールを保持している選手は10秒に一度、「味方にパスを出すか、ドリブルをするか」のどちらかを選択しなければならない。
そのようにしないと、反則を取られてしまう。健常者のラグビーは横方向のパスのみだが、車いすラグビーはアメフトのように縦方向にもパスできる。
■車いすラグビーのルール
1、各チームの登録選手数と出場選手数
1チーム12名まで登録できる。
試合には4名の選手が出場し、途中で交代する選手の数や回数は無制限。
2、出場選手の持ち点が合計8点以内
障害とひとくくりに言うが、千差万別である。
例えば、胸椎のT4という部位を骨折した人と頸椎のⅭ5という部位を骨折した人がいるとする。障害のレベルは違ってくる。
胸椎の人であれば、腕は利くし、握力も残されている。
頸椎の人は指は利かない、当然握力もない。車いすをこぐのも一苦労であろう。
このようにけがをした部位によって障害のレベルは違ってくる。
残存機能レベルが高い選手ばかりいる場合、選手の能力差が顕著にでてしまうので不公平になる。
障害のレベルを数値化し、チームの総合得点を8点以内にすることで、不公平感をなくすのである。障害のレベルは0.5点から3.5点までの7段階である。
障害の重い選手を「ローポインター選手」といい、障害の軽い選手を「ハイポインター選手」という。
女子選手が出場する場合、一人につき0.5点加算される。
例えば、女子二人がコート上にいるとする。
合計8点に0.5点×2=1点が加算され、4人合わせると9点に収めればいいのである
3,ゲーム中の反則内容
タックルが許されているが、基本的には健常者のラグビー同様に前からのタックルである。
後輪タイヤから後ろ向きに相手にタックルするのは危険行為であり、反則となる。
手や腕でボール以外の選手の体に触れたりすると、違法に腕や手を使用したという事で反則を取られる。(イリーガル・ユーズ・オブ・ザ・ハンズ・ファウル)
手や腕を使って相手や相手の車いすを押さえつけるのも反則になる。(ホールディング・ファウル)
■車いすラグビー日本代表
日本車いすラグビー連盟は1997年4月に設立された。
1996年にアトランタオリンピックにおいて、公開競技として車いすラグビーが採用されたことを受けての設立である。
パラリンピック初出場は2004年のアテネパラリンピック。
6戦全敗で最下位、強豪国との力の差をまざまざ見せつけられた。
二回目の出場となった北京大会も中国に2勝を挙げたのみ。
8チーム中7位の成績であった。
転機は2012年のロンドン大会。
プールステージにおいてイギリスとフランスを下し、初の決勝トーナメント進出を果たした。
メダルを賭けた準決勝、前回王者オーストラリアと対戦して45-59で敗北。
3位決定戦にまわる。アメリカ合衆国と銅メダルをかけての戦いは43-53で敗れ、メダルには手が届かなかった。
しかし、3大会を通して着実に進化を遂げてきた。
そして、4度目のリオデジャネイロ大会で努力は実を結ぶ。
プールステージを2位で通過。準決勝ではオーストラリアと対戦し57-63で敗退も、3位決定戦でカナダに52-50で勝利。
念願のメダル獲得。その勢いに乗り、2023年東京大会においても銅メダルを獲得。
■車いすラグビー日本代表で活躍する選手
★池透暢選手
19歳の時、自動車事故で障害を負う。障害クラス3,0のハイポインター選手。
中学時代はバスケットをしていたこともあり、車いすバスケットでパラリンピック出場を目指し、日本代表候補にも選出されていた。しかし、ロンドンパラリンピックでは落選し、バスケットでの出場はかなわなかった。
その後は車いすラグビーに転向し、今日に至る。
車いすの高いハンドリング操作と右手から繰り出される精度の高いロングパスが持ち味の選手
★池崎大輔選手
障害クラス3,0のハイポインター選手。
6歳のとき、手足の筋力が徐々に低下する難病を発症する。
高校時代に車いすバスケットを始める。前述した難病のため腕の筋力が低下し、思い通りにプレーができなくなる。30歳の時に車いすラグビーに転向。
2012年のロンドン大会から東京大会まで三大会連続出場。
前述した池選手と共に車いすラグビー界をけん引してきた。
★倉橋香衣選手
女性初の車いすラグビー日本代表選手。障害クラスは0.5点のローポインター選手。
相手選手をブロックしたり進路を妨害したりする守備に定評がある。
■ジェンダーレスのスポーツ
車いすラグビーの魅力の一つは男女混合であることだ。
野球やサッカー、バスケットボール、バレーボール、どの種目も男子と女子で分けている。
興味深いのは「殺人球技」という異名を持つこの激しい競技が、男女混合のジェンダーレスということだ。
■総括
正直、今まで筆者は車いすラグビーの試合を見たことがなかった。
ニュースのスポーツコーナーで、ときおり見る程度だった。
この記事を書くにあたって、初めて濃密に見た。
端的に言って「すごい!」
「本当に障害を持っているの?」そのように思った。
車いすと車いすの激しいぶつかり合い。
ルーズボールを追って、真正面から選手同士でぶつかった時は
「爆弾が爆発したのか?」と思うような衝撃である。
「これほど激しい競技」とは思っていなかった。
ドリブルで「ポンポン抜いた。」と思えば、
アメフトみたいなタッチダウンパスも飛び出す。
ラグビーのように細かいパスを展開する場面もある。
攻撃の幅が広い。純粋にエンターテインメントとして楽しめる。
選手一人一人が残存機能を高めあえば、更にパフォーマンスの質は高まる。
これから競技の質はますます高まっていくであろう。
筆者はラグビーだけに『にわかファン』になってしまった。