2023年シーズンでFC町田ゼルビアがJ2リーグで1位になり、J1昇格が決まりました。
実績はあったのに、ライセンスが得られなかったり。
ライセンスが認められても、J2で勝てなかったり。
紆余曲折ありましたが、ようやく2024年からFC町田ゼルビアは、J1の仲間入りを果たしました。
今回はそんなFC町田ゼルビアが辿ってきた歴史をご紹介します。
FC町田ゼルビアの歴史。設立から都リーグ1部入り
引用:Google Map/真岡田さん
まずはFC町田ゼルビアの設立から、東京都社会人サッカーリーグで1部になるまでのお話です。
FC町田トレーニングセンター
1977年にFC町田ゼルビアの前身となる、少年サッカーチームが結成されました。
作った動機は
ということで、地元の小学生に対してサッカーの指導を始めたのが最初。
そのチームの中でもデキる子を中心に「フットボールクラブ町田」を結成しました。
それから静岡市清水区に次ぐ、サッカーの町となりました。
町田市内には24の小学部サッカークラブチームがあります。
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本格的にトップを狙い始める
1989年、フットボールクラブ町田は第1種登録チームとなりました。
サッカークラブの登録のことで、第1種は選手の年齢制限がありません。
この第1種だけ、Jリーグや天皇杯に出る事ができます。
初代の監督・代表は、当時の町田サッカー協会で理事長をしていた、重田貞夫氏が就任しました。
社会人サッカーリーグに参入
1991年に東京都社会人サッカーリーグ4部に参入しました。
このリーグはサッカークラブの地方リーグで、東京都は1~4部の4部制。
最下層からのスタートです。
リーグ戦は毎年行われて、昇格・降格・残留が決まります。
1996年に菰田省二氏が監督に就任しました。
その翌年、1997年にフットボールクラブ町田からFC町田ゼルビアにチーム名を変更。
そして東京都社会人サッカーリーグ1部に昇格しました。
クラブ名の由来
「ゼルビア」とは造語で、町田市の木と花が由来です。
- 市の木→ケヤキ(英語名:Zelkova)
- 市の花→サルビア
ゼルコバ+サルビアでゼルビアです。
クラブのエンブレムはゼルビアのZと町田のMがモチーフ。
3本ラインの意味は
- 市民
- 行政
- チーム
これらの三位一体を表してます。
FC町田ゼルビアの歴史。うなぎ昇りとJリーグの壁
FC町田ゼルビアは勢いづき、かけあがって行きます。
スポンサー企業の大きな変化や、Jリーグ参入の壁が立ちはだかりました。
メンバーの補強
2004年に町田市出身者や、ゆかりのある日本プロサッカーリーグ経験者を中心に補強しました。
そして翌年の2005年は、東京都社会人サッカーリーグ1部で優勝。
関東社会人サッカー大会で優勝しました。
これにより東京都社会人サッカーリーグから関東サッカーリーグ2部へ昇格。
順調に階段を上がっていきます。
勢い止まらないFC町田ゼルビア
昇格した2006年度の関東サッカーリーグで優勝し、翌年からはリーグ1部に。
2007年には川添孝一氏がチームのスーパーバイザーに就任しました。
元、三菱重工業サッカー部(JFL)の選手で、フォワードとして活躍していた方です。
2007年、関東サッカーリーグ1部に入り、その年に優勝。
ですが、JFL(日本フットボールリーグ)へ昇格はできませんでした。
翌年の2008も関東サッカーリーグで優勝し、その時にJFLへの昇格が承認されました。
2008年から運営会社を設置
サッカークラブの運営などを担う「株式会社ゼルビア」が設立されました。
そしてFC岐阜で采配をふるっていた、戸塚哲也氏が監督に就任。
FC町田ゼルビアは勢いづき、第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会でも優勝しました。
Jリーグの壁
Jリーグに加入するには実績だけでは足りません。
他にも加入基準があって
- 平均入場者数
- Jリーグ基準のスタジアム
これらが必要です。
その当時、FC町田ゼルビアは入場者数もスタジアムのスペックも足りず、2010年のJリーグ本加盟の申請を見送ることになりました。
Jリーグに入れるまで、もう少しです。
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