FC町田ゼルビアの46年間の歴史。結成からJ1に昇格するまでの道のり

2023年シーズンでFC町田ゼルビアがJ2リーグで1位になり、J1昇格が決まりました。

実績はあったのに、ライセンスが得られなかったり。

ライセンスが認められても、J2で勝てなかったり。

紆余曲折ありましたが、ようやく2024年からFC町田ゼルビアは、J1の仲間入りを果たしました。

今回はそんなFC町田ゼルビアが辿ってきた歴史をご紹介します。

FC町田ゼルビアの歴史。設立から都リーグ1部入り

FC町田ゼルビアの歴史。設立から都リーグ1部入り

引用:Google Map/真岡田さん

まずはFC町田ゼルビアの設立から、東京都社会人サッカーリーグで1部になるまでのお話です。

FC町田トレーニングセンター

1977年にFC町田ゼルビアの前身となる、少年サッカーチームが結成されました。

作った動機は

子供たちのバランス感覚を養うには、サッカーが良い

ということで、地元の小学生に対してサッカーの指導を始めたのが最初。

そのチームの中でもデキる子を中心に「フットボールクラブ町田」を結成しました。

それから静岡市清水区に次ぐ、サッカーの町となりました。

町田市内には24の小学部サッカークラブチームがあります。

関連記事:【東京都】小学生のサッカースクールを徹底比較しオススメポイントを解説!!

本格的にトップを狙い始める

1989年、フットボールクラブ町田は第1種登録チームとなりました。

サッカークラブの登録のことで、第1種は選手の年齢制限がありません。

この第1種だけ、Jリーグや天皇杯に出る事ができます。

初代の監督・代表は、当時の町田サッカー協会で理事長をしていた、重田貞夫氏が就任しました。

社会人サッカーリーグに参入

1991年に東京都社会人サッカーリーグ4部に参入しました。

このリーグはサッカークラブの地方リーグで、東京都は1~4部の4部制。

サッカーリーグ

最下層からのスタートです。

リーグ戦は毎年行われて、昇格・降格・残留が決まります。

1996年に菰田省二氏が監督に就任しました。

その翌年、1997年にフットボールクラブ町田からFC町田ゼルビアにチーム名を変更。

そして東京都社会人サッカーリーグ1部に昇格しました。

クラブ名の由来

「ゼルビア」とは造語で、町田市の木と花が由来です。

  • 市の木→ケヤキ(英語名:Zelkova)
  • 市の花→サルビア

ゼルコバ+サルビアでゼルビアです。

クラブのエンブレムはゼルビアのZと町田のMがモチーフ。

3本ラインの意味は

  • 市民
  • 行政
  • チーム

これらの三位一体を表してます。

参考:クラブ概要:FC町田ゼルビア

FC町田ゼルビアの歴史。うなぎ昇りとJリーグの壁

FC町田ゼルビアの歴史。うなぎ昇りとJリーグの壁

FC町田ゼルビアは勢いづき、かけあがって行きます。

スポンサー企業の大きな変化や、Jリーグ参入の壁が立ちはだかりました。

メンバーの補強

2004年に町田市出身者や、ゆかりのある日本プロサッカーリーグ経験者を中心に補強しました。

そして翌年の2005年は、東京都社会人サッカーリーグ1部で優勝。

関東社会人サッカー大会で優勝しました。

これにより東京都社会人サッカーリーグから関東サッカーリーグ2部へ昇格。

順調に階段を上がっていきます。

勢い止まらないFC町田ゼルビア

昇格した2006年度の関東サッカーリーグで優勝し、翌年からはリーグ1部に。

2007年には川添孝一氏がチームのスーパーバイザーに就任しました。

元、三菱重工業サッカー部(JFL)の選手で、フォワードとして活躍していた方です。

2007年、関東サッカーリーグ1部に入り、その年に優勝。

ですが、JFL(日本フットボールリーグ)へ昇格はできませんでした。

翌年の2008も関東サッカーリーグで優勝し、その時にJFLへの昇格が承認されました。

2008年から運営会社を設置

2008年から運営会社を設置

サッカークラブの運営などを担う「株式会社ゼルビア」が設立されました。

そしてFC岐阜で采配をふるっていた、戸塚哲也氏が監督に就任。

FC町田ゼルビアは勢いづき、第32回全国地域サッカーリーグ決勝大会でも優勝しました。

Jリーグの壁

Jリーグに加入するには実績だけでは足りません。

他にも加入基準があって

  • 平均入場者数
  • Jリーグ基準のスタジアム

これらが必要です。

その当時、FC町田ゼルビアは入場者数もスタジアムのスペックも足りず、2010年のJリーグ本加盟の申請を見送ることになりました。

Jリーグに入れるまで、もう少しです。

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