移民社会とフランス代表の象徴 ジネディーヌ・ジダン

ジネディーヌ・ジダンが引退して約20年の時が経過した。筆者が最も好きだったサッカー選手である。

最後の試合となった2006年w杯決勝イタリア戦を鮮明に覚えている。

試合中、イタリア代表のマテラッツィに対して突如頭突きをしたのだ。
結果はレッドカードの一発退場。

選手としてのキャリアはそれが最後となった。
今回は筆者の好きなジダンを詳細に説明していきたい。

ジネディーヌ・ジダンの生い立ち

ジネディーヌ・ジダンはアルジェリア移民2世である。
アルジェリア独立戦争が勃発する少し前の1953年、彼の両親がフランス領アルジェリアからパリに移住してきたのである。

1968年、港町マルセイユ北部で一家は暮らし始めた。
その地区は多くの北アフリカ移民が住む地域で、そこで暮らし始めて4年後の1972年にジダンが生まれた。

サッカーとの出会いはジダンが5歳の時である。
場所は家の近くの800平米ほどの広場で、兄や近所の子供たちと少年ジダンはサッカーに夢中になった。

彼の得意技で数々のスーパープレイを生み出した「マルセイユ・ルーレット」はこの幼少期に育まれたものである。

移民社会とフランス代表の象徴

1993年11月17日、フランスに激震が走った。
サッカーファンであれば、「パリの悲劇」と聞けばわかるであろう。

アメリカW杯の出場をほぼ手中に収めていたフランスが予選最終戦でその切符を逃したのである。

5年後に自国開催を控えていたフランスにとってはこの敗退は予想以上に痛かった。

当時のフランス代表の再建を託されたのはエメ・ジャケ監督だった。

彼は自国開催を成功させるために大きな決断を下す。
当時の絶対的エースであるエリック・カントナを代表から外し、ジダンを背番号10番に据える決断をしたのである。

この決断は大変な波紋を呼んだ。

しかし、我が強くて素行の悪かったエリック・カントナはピッチ内外を問わず問題児であった。
自国開催を成功させるためには団結することが不可欠ゆえに彼を外しジダンを後釜に据えたのである。

当時のフランス代表は黒人が大半を占めるようになっていた。
移民の黒人と白人の間には少なからず溝が生まれていた。
エメ・ジャケ監督は黒人と白人の共生のシンボルとしてジダンを重用したのだ。

ある種、時代は彼のような人材を求めていたのかもしれない。
選手として非凡で、人格的にも愛されていたジダンは、フランス国民はもちろん、世界中で「ジズー」という愛称で親しみを持たれていた。

彼はサッカーのみならず、移民社会の成功モデルのシンボルとしても賞賛されたのである。

それを証明する逸話がある。
2002年日韓w杯直前に彼が負傷した際、フランス国営テレビは「ジダンのいないレ・ブルー(フランス代表の愛称)はモナリザのないルーブル美術館に等しい」と表現したのだ。

ジネディーヌ・ジダン 選手としての特徴と評価

ここでは私情が入ってしまうかもしれない。
筆者はジネディーヌ・ジダン以上のオールラウンドプレーヤーを知らない。

パスもドリブルもシュートも全てが超一流である。
パスは仲間に供給するアシストと展開を変えるときのサイドチェンジ、ドリブルはマルセイユ・ルーレットを駆使した華麗なドリブル。

また、彼は積極的にシュートを打って点も取れる選手であった。
彼を「オールラウンダー」と呼ばずに誰を呼ぶのであろうか?

個人的には2002年UEFAチャンピオンズリーグ決勝の「スーパーボレーシュート」が忘れられない。

終了間際にあのようなスーパーゴールを見せられれば、記憶にも鮮明に残る。
リオネル・メッシやクリスティアーノ・ロナウドもスター選手には違いないが筆者の私見ではジダンと比較した時、見劣りしてしまう。

それほどにジダンという選手に惚れ込んだ。

ジネディーヌ・ジダン 監督としての評価

「名選手名監督にあらず」という格言はしばしば耳にする。

しかし、ジダンにはそれが当てはまらないようだ。

2016年ー2021年まで古巣レアル・マドリードの監督としてチームを率いた。
厳密に言えば、2018年5月31日に退任して2019年3月11日までは監督ではなかった。

在任中の成績は国内リーグで2回、2016年ー2017年、2019年ー2020年にチームを優勝に導いた。
UEFAチャンピオンズリーグでも2015年ー2018年まで、3年間連続で優勝に導いている。

数字だけ見れば、「名将」と呼ぶに値する成績であろう。

では、「周囲の評価はどうなのか?」

ホルヘ・バルダーノの評価

レアル・マドリードの元選手で引退後はレアルの監督とスポーツディレクターも務めたホルヘ・バルダーノはジダンを次のように語る。

「ジダンはレアルという豊饒なグループの管理人として秀でていた。
これは人々が思っている以上に大変なことだ。

彼にそれができるのは監督としての思慮深さが他に類を見ないからだ。

ひとりの人間としてまたプロフェッショナルとして、彼は知性に溢れている。
そして知性に溢れる人間の常として、自身の経験を進化に繋げている。

彼が勝利を得たのは誰よりもよく新たな状況に適応したからであり、チームを適応させることができたからだ。」

監督としてだけでなく人間性も優れていることを彼は述べている。
また、戦術面についてもジダンが有能である事を述べている人物が多くいる。

フランシスコ・ブーヨの評価

その一人で元レアル・マドリードGKフランシスコ・ブーヨはジダンについて次のように述べている。

「2019年3月に彼が監督に復帰したとき、私が強く印象を受けたのは戦術面での手腕だった。

彼は状況を綿密に分析した。シーズン50得点を記録するクリスティアノ・ロナウドが移籍して、彼がいないレアルで「どのようなチームを構築すべきか?」を熟考した。

同じやり方では続けていけないと考えた末の結論は守備の強化だった。
そして構築したのは、レアル史上でも類を見ない守備に重きを置いたチームだった。」

「レアル史上でも類を見ない守備に重きを置いたチーム」

この文言がジダンが監督としても優秀であることを物語っている。
ジダンほどの優れたスーパースターが監督になった場合、攻撃ばかりを重視して守備をおろそかにすることはよくある話だ。

ディエゴ・マラドーナが典型的な例であろう。

彼がアルゼンチン代表の監督を務めた時、メッシやイグアインといった攻撃的タレントばかりに重きを置き、ディフェンスは疎かであった。

しかし、ジダンは違った。忘れられない場面がある。

2018年のチャンピオンズリーグ決勝戦、リバプールとの戦いである。
開始早々、選手たちに「まず15分間守備からしっかり入るぞ。」
そのような発言をしたのである。

彼が「守備が勝つためには大事である事」を認識している証拠である。

ジネディーヌ・ジダン まとめ

ここまでジネディーヌ・ジダンについて述べてきた。

彼が選手としてだけではなく、監督としても優れていることが分かったであろう。
また、彼は単なるサッカー選手という位置づけではなくヨーロッパの移民社会の成功モデルとしてのシンボルでもあったのだ。

今も全世界で「ジズー」という愛称で愛されるゆえんであろう。

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