遠藤航選手のサッカー歴。決して順調ではなかった幼少期
遠藤航選手は、今ではイングランドで超有名な6つのクラブのうちの1つ、リヴァプールに所属している注目の選手です。
ですが小、中学生の時はそんなに注目されてませんでした。
横浜F・マリノスのファンだった
横浜F・マリノスはJリーグ発足から1度としてJ2へ降格した事が無い、横浜のプロサッカークラブです。
遠藤航選手の地元という事もあり、よく父親と試合を観に行ってました。
小学校1年の時にサッカーを始め、小学5年と6年の時に横浜F・マリノスの加入試験を受けました。
結果は2回とも落選。
中学校に進学する前にもう1度受験しましたが、落選しました。
他にクラブには合格していたので、そこに入るつもりだったそうですが
当時に所属していた南戸塚サッカークラブのコーチに
実際に行ってみたら相性が良かったようで、南戸塚中学校のサッカー部に入りました。
中学で実力を付け、スカウトされる
中学クラブの戦績はそれ程でもありませんでした。
ですが、中学校での経験が今の遠藤選手を作ったと言えるでしょう。
- 元々はフォワードだった
- 中学で中盤を任された
- 攻撃を意識したパスを出すよう求められた
この要求に素直に答えたことで、注目されるようになりました。
最初は、横浜市のトレセンに選ばれました。
トレセンとは
その地区で上手い子を集めて、強化育成する場。
日本サッカー協会による講習会です。
トレセンには市町村<地区<都道府県<地域と4つのカテゴリーがあります。
上手い子は上部トレセンに推薦しれくれる事も。
遠藤選手が中学2年生の時、湘南ベルマーレ・ユースの練習に参加しました。
その時の監督、曺貴裁が遠藤選手を見て興味を持ち、中学3年の時にスカウトしました。
そして神奈川県立金井高等学校に進学と同時に、湘南ベルマーレのユースに入団しました。
参考:遠藤航選手の声
高校生でプロ入り
高校2年生の時には国体で優勝しました。
3年の時に2種登録選手として登録され、Jリーグにデビューします。
2種登録とは
18歳未満で構成されるチームのうち、Jリーグへの出場が認められる選手のこと。
ただの第2種はJリーグに出場できません。
2011年には湘南ベルマーレのトップチームへ昇格しました。
トップチームというのが、いわゆるプロ選手。
ユースに所属している人が自動的にプロになれるワケではなく、年に1人がプロになれるかどうかという世界です。
19歳でキャプテンに抜擢。大活躍する
2012年、湘南ベルマーレはJ2で好成績を残してJ1へ昇格しました。
遠藤選手はディフェンダーを主にしてましたが、7得点あげて攻守ともに活躍しました。
ですが翌年は2月に離脱し、8月に復帰と長期間穴を開けてしまいました。
キャンプ中に右ハムストリングの肉離れを起こした事が原因でしょうか。
復帰後はチームの成績が良くなりましたが、再びJ2へ降格することになりました。
2014年も遠藤選手は好調で、オフには浦和レッズからオファーされたそうですが、遠藤選手は断って湘南でプレーする事を決めました。
もちろん浦和レッズの方が金銭面も良いですし、環境面も申し分ありません。
ですが
J1昇格やJ2降格をともに経験した仲間たちと、もう一回J1で一緒にプレーしたいという思いが自分のなかにあった。一番の決め手はそこですね。
このように遠藤選手は答えました。
もう1年、湘南でプレーした遠藤選手は昨年オファーを受けた浦和レッズに完全移籍しました。
浦和に決めた理由は
- AFCチャンピオンズリーグに出れる事
- ミハイロ監督のサッカー、熱量が魅力的
- 那須大亮からポジションを奪おうと思ってた
AFCチャンピオンズリーグというのはアジアで行われる、クラブチームによる大会です。
日本のJ1リーグ1位~3位と、天皇杯優勝クラブが選ばれます。
浦和からベルギーへ。遠藤の思う所
遠藤選手は浦和レッズに完全移籍したその年、プロ初のタイトル「Jリーグ優秀選手賞」を獲得しました。
翌年の2017年には移籍後、初の得点を決めました。
2018年、遠藤はセレッソ大阪との対戦を最後に、浦和を退団。
ベルギーのシント=トロイデンVVに完全移籍することになりました。
海外へ行こうと考えた理由は
- リオ五輪でグループリーグ敗退したこと
- ロシアW杯で選ばれたものの出場機会が無かった事
まだまだ実力が足りてないと感じ、海外移籍を決めたそうです。
シント=トロイデンVVには、多くの日本人選手が移籍しています。
その理由は3つ
- ベルギーは外国籍選手枠に制限が無い
- 欧州でのプレー経験になる
- オーナーが日本企業のDMM
ですので海外経験としてベルギーのクラブがよく選ばれます。
その中でシントトロイデンが選ばれるのは、日本人が居るため、言葉の障壁が比較的薄いからです。
海外に渡った事で、遠藤選手の才能が爆発します。
デュエル王、遠藤航
シント=トロイデンVVに移籍し、デビューするといきなり初得点を決めました。
1年間トロイデンで活躍した遠藤選手は、期限付きでドイツのVfBシュトゥットガルトに移籍しました。
このドイツで遠藤選手は「デュエル王」を2年連続で獲得しています。
デュエルとは、1対1のこと。
攻撃している側と守る側が1対1で対面した時に、遠藤選手の勝率が高かったのです。
遠藤選手は178cmと、日本人からすれば少し高めの身長ですが、ヨーロッパでは小さめ。
そんな環境で、競り合いに勝ちまくってました。
遠藤選手は幼い頃からひたすら公園で、父親とボールの奪い合いをしていたそうです。
これがデュエル王の基礎だったのでしょう。
シュトゥットガルト時のプレーはこちら↓
期限付き移籍から完全移籍に移行して、ドイツのVfBシュトゥットガルトで早々にレギュラーに定着。
チームが2年ぶりに1部リーグ昇格しました。間違いなく、遠藤による貢献です。
またドイツのサッカー雑誌が選出する「ブンデスリーガ年間ベストイレブン」に選ばれました。
実はシュトゥットガルトで先発に選ばれていたのには理由があったのです。
チームメイトのマリオ・ゴメス(ベテランのFW)が監督らに
と、意見したことがキッカケでした。
もちろん移籍後すぐは先発に起用される事はありませんでした。
いつぞやの途中出場の時、試合のラスト5分間で機会を作り出した事や、中盤での守備力の高さをマリオは評価したのです。
そうして遠藤選手が先発に起用される事が増え、多くの人の目に留まるようになりました。
参考:遠藤航が転機を迎えたワケ…きっかけを作ったのはロッカールームで隣の元独代表FW
2021-2022シーズンにはキャプテンに就任。
チームを引っ張る存在になりました。
ですがクラブの成績はあまり良くなく、残留争いという所。
そんな中でも絶対に諦めず、遠藤選手は自らゴールを入れるなどの活躍を挙げました。
1部リーグの残留が決まり、遠藤自身は2年連続のリーグ最多デュエルを記録しました。
そんなお祭りムードの中でも、遠藤選手は自宅に帰って家族との時間を大切にしました。
遠藤選手が移籍する前には、こんな横断幕が上がりました。
「私たちの色(クラブ)のために戦い献身してくれた4年間!どうもありがとう、ワタル!」#VfB #遠藤航 @wataru0209 pic.twitter.com/FIzctQuQBx
— VfB Stuttgart_JP (@VfB_JP) August 21, 2023
プレミアリーグのリヴァプールに移籍
リヴァプールは守備に穴が出来てしまい、補強を考えてました。
主力の移籍。そして選手獲得の失敗。
これではヤバイと思い、ベテランの遠藤航に声がかかりました。
30歳では異例の4年契約です。(相場はもっと短い)
いくらドイツで名を挙げても、イギリスにまで広がってなかったのか、加入時はサポーターの目が冷ややかだったそうです。
ましてや所属元のVfBシュトゥットガルトには、移籍金として40億円近くを支払ってます。
これで使えなかったら、サポーターはブチギレ案件でしょう。
ですが、移籍から4ヶ月後の2023年12月、遠藤選手はチームの月間MVPを獲得してます。
- ゴールを決めるなどの結果を出した
- 同ポジションの選手が負傷により出場機会が増えた
- 7試合連続で先発フル出場で活躍をアピール
運もありましたが、実力でチームメイトやサポーターに認められる選手になりました。
またプレミアリーグの公式サイトでは
エンドウの最大の働きはルーズボールを拾い、効率的にポゼッションをやり直すところにある。さらに必要なタイミングで能動的にプレーができる。アーセナルFC戦では、リヴァプールのチャンスに繋がった2つのターンオーバーを彼が生み出した
引用:プレミアリーグ公式サイトが遠藤航を特集!「エンドウはいかにしてリヴァプールの中盤の軸となったのか」チャンスにつながった“らしい”プレーを徹底解説
2024年4月現在リヴァプールは2位ですが、折り返し次点では首位。
この首位キープには遠藤が貢献していると、考察されてました。
まとめ 遠藤航選手は鉄壁のシューター
遠藤航選手は中盤から終盤の選手ではありますが、攻撃に加わる事もあり戦況を打開する力を持ってます。
そんな遠藤選手がキャプテンとして率いるサムライブルーは、2026年ワールドカップに向けてアジア2次予選を1位で通過しました。
この調子で勝ち上がってほしいですね。
ちなみにXやInstagramのアカウントを持っていて、時々ファンと交流しています。
遠藤航選手のアカウントはこちら→遠藤航(X)
Instagramは→EndoWataru
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